室町幕府6代将軍「足利義教」の選ばれ方はくじ引きだった?

室町幕府の将軍に足利義教(あしかがよしのり)といった人物がいたのはご存知でしょうか。

この足利義教は、あるユニークな方法で将軍に選ばれました。

その方法なんですが、なんと「くじ引き」です。

くじ引きで国の行く末を担う将軍を決めるなんて、なんともユニークで、ちょっと信じられない感じです。

足利義教木像


足利義教は有名な3代将軍「足利義満(あしかがよしみつ)」の息子で4代将軍「義持(よしもち)」の弟になります。母は側室の藤原慶子で義持とは同母弟です。

義持は36歳で将軍の座を息子の「義量(よしかず)」に譲ります。このとき義量はわずか17歳だったといいます。

将軍になったあと義量は酒びたりの生活になり、それが影響したのか将軍になってからわずか数年で亡くなってしまいます。

絶大な権力を持つと思われる将軍を36歳で退いてしまうなんてちょっと勿体無い感じもします。息子を影で操る院政でもしようとしたのでしょうか。

それとも、よっぽど重労働だったのか、面白くない仕事だったのか、いろいろと想像してしまいます。

息子の義量も酒びたりになったのですが、いろいろと面白くないことがあったのでしょうか。

それにしてもこの頃は17歳でお酒を飲んでもよかったのですね。

義持には息子は一人しかいませんでしたので、次の将軍候補は義持の弟4人のだれかから選ぶ必要がありました。

そんななか義持は後継者を選ぶことなく、病気で亡くなってしまいます。そんな背景からしかたなく、くじ引きで4人のなかから選ぶこととなったのです。

足利義教

足利義教は将軍になったあとはひたすら恐怖政治に走ります。

側近の東坊城増永(ひがしのぼうじょうますなが)が義教が近くにいるとは知らずにクスッと声をもらして笑うと、義教は自分が笑われたと思って領地を没収してしまいます。

また、侍女がとりつぢを間違えると、髪を切って強引に尼にしてしまったそうです。

猿楽師の世阿弥を佐渡に島流しにもしております。

義教はまた幕府に大きな力をもった守護大名をつぎつぎと潰して、日本のトップ武家としての力を確保しようとしました。

このとき次は自分の番だと思った赤松満祐(あかまつみつすけ)は、先手をとって義教を屋敷に招いて、あっけなく殺害してしまいます。

義教は比叡山延暦寺の焼き討ちなどもやっており、最後があっけなかったことからも、織田信長と比較されることが多いようです。

ただ個人的には残した功績や実績が全然違うと思うので、織田信長にはちょっと失礼な感じがします。


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