坂本龍馬暗殺の真相は?暗殺の瞬間と犯人像に迫る。

坂本龍馬を暗殺したのは誰なのでしょうか。幕末最大のミステリーとも言えるではないでしょうか。

坂本龍馬

その真相については今でも多くの研究者がいろいろな観点から解明に取り組んでおります。

坂本龍馬といえば歴史上の中でも常に上位を争う人気の人物です。
NHKの番組で2009年に調査を行ったところ、好きな歴史上の人物で3位でした。ちなみにこのときの1位は織田信長です。

「goo」の「墓参りをしてみたい日本の歴史上の人物ランキング」というのがあって、それでは堂々の2位となっております。こちらでは織田信長が3位、1位は聖徳太子となっておりました。


皆さんもよくご存知かと思いますが坂本龍馬は明治維新に大きく貢献した人物ですが、心半ばにして暗殺されてしまいました。

現在の政治化などにも影響を与えている人物ようで、鳩山元総理の弟、邦夫氏が「私は人を結び付ける龍馬のような役目を果たしたい」ような意味の台詞をいっていたり、維新の会が龍馬の「船中八策」という言葉を真似して8つの政策を出していたりもしていました。


さて、暗殺の当日ですが龍馬は盟友の中岡慎太郎と会っていました。

2人が会合していた部屋は天井が低く刀を振るのが難しい場所だったといいます。
そのため襲撃されても刀を振り回すことは難しく、すぐそばに窓があるので逃げやすい場所でもあったといいます。

北辰一刀流の達人である龍馬は刀で戦った形跡があるようですが刀を鞘から抜かないまま戦ったようです。竜馬の遺留品の刀の鞘にはそのときついたと思われる傷がついております。

遺留品のなかには銃もありました。襲撃してきたのはわずかに2人だったので、それを使用していれば即座に相手を倒すことができたはずです。そのため、思わぬ不意打ちであったと考えられるため、犯人は目の前にいた中岡慎太郎であるという説まであります。

中岡慎太郎自身も斬られて重症を追い、その後死亡したため、この説の可能性は低いと言えるでしょう。

中岡慎太郎
    中岡慎太郎


現在よくいわれる実行犯には「見廻組説」、「新撰組説」があります。

「新撰組説」は事件の後、少しの間生きていた中岡慎太郎の証言などが元となっております。
ただこれは中岡慎太郎の考えであって証拠があるわけではありませんでした。

また、元新選組隊士で高台寺党の伊東甲子太郎とそのメンバーが現場に残されていた遺留品の鞘が新選組の原田左之助のものであると証言もありました。ただ、伊東と新選組は対立していたようです。

これらのことから当時は「新撰組説」が有力であったらしく、新撰組の総長「近藤勇」はその影響もあって斬首されております。

龍馬の墓
    左側が龍馬の墓(右は中岡慎太郎の墓)


しかし、その後、思わぬ証言が出てきました。
箱館戦争で降伏し捕虜になった今井信郎という元見廻組の男が取り調べ最中に「坂本龍馬を殺害した」という供述しました。さらにその後、元見廻組隊士の渡辺篤も龍馬暗殺の証言をしています。

この2人の証言には暗殺の実行メンバーなどで食い違いがあります。
また今井は始めは見張り役だったといっていましたが、後には実は殺害の実行犯であったと告白するなどブレております。もっとも最初の段階で殺害の実行犯だといったら、死刑になっていたかもしれませんので、このブレは仕方がないのかもしれません。

さらに近年になって坂本龍馬を斬ったときに使用した刀と伝えられるものも出てきております。
この刀は見廻組の一員の所有物だったようで、その子孫に伝えられたとのことでした。


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